Source: Nikkei Online, 2023年8月1日 2:00
この十一面観音像も、もとは興福寺内にあり禅定院観音堂本尊だったらしい。観音堂本尊は、室町時代の記録に「長谷寺御衣木(みそぎ)云々(うんぬん)」つまり奈良県桜井市・長谷寺本尊と同じ材木で造られた像といわれていたことが知られるが、この十一面観音像の四角い台座に立ち、右手に錫杖(しゃくじょう)をとる特殊な姿は、現存する長谷寺本尊(室町時代)と同じ形なのである。
奈良時代創建という長谷寺の本尊、二丈六尺の十一面観音像は度重なる火災に焼亡し、再興をくりかえしたが、鎌倉前期の建保7年(1219年)にも焼け、このときには快慶が一門をひきいて再興造像にたずさわった。パラミタミュージアム像は、銘記によって長快(ちょうかい)という仏師が建長8年(1256年)以前に造ったことがわかっている。像の姿は、当時存在していた、快慶が造った長谷寺本尊にならったものだろう。
長快は名に「快」字がつき、快慶がアン(梵字(ぼんじ))阿弥陀仏を称したのと同じように定阿弥陀仏と称したことから快慶の弟子とわかる。パラミタミュージアム像は、鎌倉中期の奈良における盛んな長谷寺信仰と快慶一門の活発な活動を伝えている。(13世紀、木造、漆箔、玉眼、像高121.6センチ、パラミタミュージアム蔵)